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ノーバン今日の出来事☆まずは!

今回奄美大島にて国際プロサーフィン奄美プロ選手権を主催するASPという組織はどういうものなのかを詳しく説明しています。

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【以下HPより抜粋】

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  その始まりは、60年代にさかのぼり、純粋なスポーツ競技として世の中に紹介された。その当時は、男子も女子もこの競技を自尊心と愛情をもって楽しんでいた。スポンサードは無く、その産業自体が確立されていなかった時期である。 それはただ断続的に流行る10代の若者たちの集まりが、競い合う不特定な競技会に過ぎなかったと言う事でもある。

 これは、間違いなくプロの存在しない時代であり、当時の著名な人々は、ミジェト・フェリー、ジョイ・カベル、マイク・ドイルやボブ・マクタビッシュのようなアマチュアサーファーたちであったが、それでも彼らにとってはもっと大切な戦いが国境を越えた競技として、ナショナル・チャンピオンシップの勝利者としての名誉を獲る事であった。 だが一方では情熱と友情は豊かな時代でもあった。

 金銭的な支持の補償は無いので当然、賞金も無かったし、報酬は個人的な達成感、または偉業をなすことで、それはこの時代のすべてのアマチュアスポーツの定義でもあり、その時の限られた権限でもあった。

 社会的反体制グループの活動にゆれる60年代から70年代にかけての孤立したすき間の中で構成されたサーフィン競技が始められるようになり、それが表面に出はじめた。 ハワイでは、スミノフ・プロ、デューク・カハナモク・クラッシックやパイプラインマスターズのようなイベントで$10,000-の賞金と共に、その頃すでに、プロフェッショナリズムの道を歩み始めたのである。

 その頃になって、新しいスポーツスーパースターとして誕生したのが、ジェフ・ハックマン、リノ・アベリラやジェリー・ロペスであり、このサーファーたちと共に、ナット・ヤングとデビット・ヌヴィアが、賞金の補足を支持することに引き合い始めた。

 オーストラリア、ハワイそして、日本、それとはほど遠い層準であるヨーロッパ、南アフリカの他、まさに発展途上にあるカリフォルニアなどのサーフィン産業界の発達時期に人気を得たのが、60年代のビーチボーイズやサーフ・クレイズであり、彼ら自信でレイベルし、そのブランドとして民間にも認められる、ヒーローと成っていった時期でもある。

 70年代に入り、そのイベント性はさらに飛躍をみせ、シドニーからリオ、フロリダからダーバンとまるでニットベルトのように、この伸縮性にとんだトーナメントは、1976年にさらに高揚し、初期のASPの舞台となることを立証し、世界チャンピオンのマーク・リチャーズとショーン・トムソンがその時代の先導役となった。1984年にツアーは20試合を超える国際的なレイティング性のものにまで進化したのである。

 トム・キャロルとトム・カレンと言ったスーパースター達の提案によってその変革を始めた1992年には、ASPは二層式のレイティング制を導入した。 それは無意識のうちにトップの44人を統合し出来上がったようでもあり、ワールドチャンピオンシップツアーへの資格を限定するクゥオラファイシリーズがその供給システムの状態となって誕生した。 それは同時に異常に大きく急発展したサーフィン産業と、60試合以上のワールドワイドなプロイベントとが行き着くべく世の中の流れと、うまく融合した結果であったのかもしれない。

 その後、幾月の時をへて統合を重ねたASPは精力的な方向に向け新たに急進的な計画を取り入れた、それは80年代からの幾分過激な離脱、そして90年代のツアーを最高のロケーションで観られるようにイベントの興行者らは勇気付けられるようになった。

 そんな中、サーフィン産業界の有名ブランドはその世界的な普及促進の一部として計略的に各自のイベント制をグラジガン、ジェフリーズベイ、ムンダカ、タバルア、タヒチやトラッセルズのようなものすごく魅力的で伝説的な場所での興行をはじめたのである。

 そこで、ASPとしての本来あるべく伝統的な波の立つ場所で、旬の時期に、ウィティング期間を設け興行した結果、偉大な成果を獲得し、そのはっきりした目的方針を、ASPのワールドツアーで報道により多角的に広めることに行き着いた。

 それは、選手達がまさに苦汁を味合わされた80年代や90年代初、WCTイベントが真夏の大都会近郊の海岸行われていた時期に、その目的が、ビーチで腰をすり合わせた特別観覧席に人をいっぱいに埋め尽くす事から照準を変えたと言うことである。 その多くの特別観覧席イベントは、残念ながら、波はそれほど良く無い時に遭遇してしまい、主催の目標自体が一貫して日曜日に終わるように仕組まれていたからである。

 現在でも、依然としてまだ幾つかの特別鑑賞席的イベントはカレンダー上に存在するのは、公衆の対面上、スポーツ全ての重要な公共的部分ではそう言った環境も、世界のトッププロサーファーに近づきやすいという主張の基、この意見も理解しなければならないのである。

 新しく改革された、ASPはどのような場合でも、最も理想的な現場で世界の優秀なプロが特別な輝き、イメージを見せられるような国際的なラウンジルームに直行できるように文字通り、決まったやり方でそれを実行する事である。

 さらなるASPの主な試みは/TWIテレビブロードキャスティング製作協会の協力で、デイリーハイライトパッケージ製作などや、衛星放送ネットワークへのリンクなど、このサービスは、増進と共に、我々のエキサイティングなデジタルメディアユニットの画像をインターネットを通じ、日々のプレスリリースはじめ、サーフィンをさらに幅広い世界の視聴者へ送り込むことが出来るようになった。

 2004年、ASPワールドツアーは全てのスポーツの訓練を特徴付けるがごとく、ロングボードの世界選手権をフランスで行い、カリフォルニアの巨人ジョエル・チューダーが彼の2度目のASP世界タイトルを手中に収めた。BILLABONGワールドジュニアチャンピオンシップスは再びオーストラリアのナラビーンで2005年1月の第1週に開催された。そしてウィメンのWCTは高々と誇れるすばらしい独立した大会の数々をフィージー、フランス、カリフォルニアそしてハワイで開催する事に成功した。 さらに、メンズのWCTは日本での開催が復活し、国を揚げてのもてなしと共に、世界的に認められるすばらしい波のブレイクする場所で開催することに成功した。

 最新のASPを視ると、元世界チャンピオンのラビット・バーソロミューを中心に、5人のボードディレクターを選出し、活動的に発展の時期に乗り出した。 それは今日のASPの成熟さを確信し、28年の歳月を経て今日までに積み上げた経験、試練、苦難は同時に発達と成長期の時代であったと言える。 そして、ASPはさらに未来へ進み、その新たなる理想と計画を個性的でひたむきなティームと共に団結することにより、きっと夢を現実に変えることが出来るであろう。

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と、専門用語がずらりとなかなか理解しずらいとこはありますが、サーフィンというスポーツでは欠かせない有名な人物の名前がたくさん出てきたり分かる人には分かる凄い大きくて世界的に広がっている組織なのですね~! 


その中の日本の組織であるASP JAPANが今回この奄美大島にてプロのスポーツの大会を開催することになりました。

目の前で、間近でプロスポーツ選手の、そしてサーフィンというスポーツのプロフェッショナルな動きや競技でのハイレベルの闘いが見れるとなると、今まで思っていたイメージやサーフィンへの印象は間違いなく変わるのではないでしょうか? 

そういった部分も奄美大島で開催されるという点では島の人たちにとっても大きな刺激にもなり、今後奄美大島が本土、そして世界の国々からまた更に注目を集める宣伝効果として経済の活性化への要素も十分にあり得ると思っています。  


大会実行委員のみなさんは5月の開催に向けて準備を着々と進めています。 

その模様はこちらのブログにて閲覧できますのでどうぞご覧ください!! 
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みなさんとても頑張っています!! 

島のみんなで盛り上げつつ協力ヨロシクお願い致しま~す!! 

そして大会を応援してくれる協賛・ボランティアスタッフも大募集しています! 

詳しくはノーバンダリーズへ! またちょこちょこ内容なども発表していきますね~! 

奄美大島 2010.9.25 "G"の台風の波☆
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by noboundaries | 2011-03-26 19:48 | 今日の出来事